
熱帯魚飼育に必要な器具・設備の紹介です。
現在の大分県の名は、古来より国府が置かれていた大分郡(おおきたのこほり)に由来します。「おおいた」という読みは、「おおきた」が転訛したものです。
さらに、大分郡の名の由来については、『豊後国風土記』によると、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と感嘆して名づけ、これが後に「大分」と書かれたとされています。しかし、大分平野は広大とは言えないため、実際には、狭くて入りくんだ地形に多くの田が造られている様子を形容した「多き田」が転じて「大分」になったとするのが最近の定説です。
2005年1月、大分市の横尾遺跡から出土した角柱状の材木(長さ3.4m、一辺18cm)が、約6,000~7,000年前の縄文時代早期の角材と分かりました。
鎌倉時代から室町時代にかけては大友氏が豊後国の守護となりました。大友氏は戦国時代のキリシタン大名大友宗麟の代に最盛期を迎え、九州の大半を支配するとともに、清やポルトガルなどとの交易を盛んに行い南蛮文化が花開きました。